


「IBA」の発想を踏襲した福岡の「シーサイドももち」や「ネクサス香椎」といった建築家主導のプロジェクトも、同じような限界を示しているとわたしの目には映るのです。
わたしは1980年代の初めにポスト・モダン推進の論を張ったとき・・・
建築家が都市の不毛を救済する力を秘めていることに多大な期待をかけました。
しかし、一度崩壊した都市の論理の再構築は、1980年代の好条件のもとでも成立しなかったのです。
都市も建築も急速度で消費されていくなかで、建築は建築家たちがいうような「千年不変の価値」を体現するものではなく・・・
消費の一場面をにぎやかにする単なる装置と化してしまいました。
ここにおいても「失楽園」の絶望は深いのです。
